なんか横になっちゃったけどHAYATOが渋谷に舞い降りた時の動画ですー。


寒かったけど同じおねいさんいっぱいいたよ!

友人からおススメされたのをチマチマ聞いてます。

部屋で一人で笑うわけにはいかないので無言。


・・・

・・・


すいません、笑ってしまってます。

ラジオは自室でも聞けるからまぁ聞きやすい。


自室にTVとかないのでいろいろ見れないのと録画できないのが最近。

アニメ全く見なくなってしまうんですよー。


おススメされても見れないのだ・・・ぐす


タイバニ見れたのはユーストだったからですね。


うたプリも買ったぱなしでまだ見ていないので見ないと(><)


ってかとったテニスまだ見れてないんですけど!


うう、あしたこそ!

今年もちまちまといろいろやっていこうと思っているのですが
やりたいことが多すぎてどうにもまとまらない気がしてしまう。

何かどんと目標を立てねばならない・・・むむ

あれもこれもじゃ何もできないで終わってしまうよね。

一ジャンル一目標くらいでどうかな・・・

まず旅行!
出来れば海外。
夏休みかな??台湾あたりなら夏じゃなくてもなんとか行けそうな気もする。
これは一人は怖いので、一緒に行ってくれる人探そう。

というかしいなは一人旅はどっか違うとこ行っちゃいそうで怖いんであまり好きではない。
ベニスで盛大に迷子になったのが怖くてさ。

同人は・・・
もう少し文章うまくなって、長い本書きたいな(具体的には・・・
今いろいろ勉強し直してるんだけど次に生かせるかしら。
はぁぁぁ
とにかく書くこと!

出会い?
友達は大切にはいつもだけど・・・まぁ、もう少し人見知りなおして新しい扉開いてみるべきか?
うん。何か新しく開拓する。

あー、でも写真ももっと撮りたいし上田も行きたいし
ぐるぐる

でも、そろそろ大きな目標に向かって歩きださなければならないのだよ

ってか遅すぎなんだけどねぇ

ええ。

とりあえず

睡眠障害なおそうか(笑

ではではヾ( ´ー`)

真夏の行田駅は日陰が見当たらないほど晴れ渡っていた。

この日は埼玉は35度以上の気温を記録しまさに猛暑というのにふさわしい日だった。


上野から高崎線に揺られること数十分、石田三成が小田原合戦で攻略の命を受けた忍城のある街だ。

それにしても、本当に暑い。そして何もない。

駅を降りてすぐに行田市の観光案内所涼と情報を求め、早速その扉を開いた。

中の人にさきたま古墳への行き方を聞くとちょうどいいバスはないとのこと。


☆もし行くのであれば時間を調べていくことをおススメしたい。

バスの本数が本当に少ないみたいなので。

のぼうの城効果で少しは何か増えるといい。

 

この観光案内所では無料で自転車を貸してくれているそうなので、待てない私はそれを借りて石田堤経由で丸墓山、忍城へ向かうことにした。

ちなみに自転車は市内になるいくつかの施設で貸出してくれて、返却もどこでも大丈夫らしい。

観光案内所の人に地図をもらって、大体の道を説明してもらう。

手続きをして地図を出しやすいところに置いて出発である。


観光案内所の人が教えてくれた、迷わない行田駅から石田堤までの道のりは

行田駅から駅前の道をまっすぐ行って、上越新幹線の高架下沿いをひたすら走る

といった簡単なルート。大体距離は4Km。

注意していれば通り過ぎることはないとのこと。


埼玉は平地なので自転車も漕ぎやすい。

さて15分ほど漕いでいると田んぼの向こう側に緑の一直線が見えてきた。


ここだ。

石田堤史跡公園。
本日22時夜空を見上げ僕らは出会う


自転車をとめて周りを散策させてもらう。

まず目につくのが高架下に作られたスペース。

中心に東屋みたいなのがあって、そこは下に行くと音が鳴るらしい・・・。

書状の写真と現代語訳が書いてあって石田堤の作られた経緯がなんとなくわかる。
本日22時夜空を見上げ僕らは出会う

あと、丸墓山古墳にはった陣から忍城を見下ろす三成と堤が決壊した時の絵もある。

道路を渡ると堤の断面がみられるようになっており、堤の構造がみえる。

いくつもの層になっているのは、三成が自然堤防や微高地を工夫して作ったからだろうか。

上に登れるようになっていて、高さもあってしっかりしたものだ。

この堤が400年に以上前に28Kmも続いていたのかと思うとちょっとびっくりした。
本日22時夜空を見上げ僕らは出会う

本日22時夜空を見上げ僕らは出会う


再び自転車にまたがって石田堤跡沿いを北上する。

松の木が生えていて結構わかりやすいし、ちょっと涼しい。

少し走ると石田堤の看板や碑が建っていた。

自転車を止めて石田堤をのぼると向こう側にはどこまでも田んぼが広がって、夏の日差しで青々しく輝いていた。

ここ一面が水の下だったのはわかるが今いち想像しにくいのが正直なところ、石田堤から忍城を見ることは出来ない。

たぶん向こうに見える街の中だと思うのだがかなりの距離がある。

もう少し狭かったのかと思っていたので、三成の計画には驚くばかりである。


堤は決壊した時に石田方に結構な被害があったたとされているが、実際には若干ではないかという説もある。

ともあれ、ここに溜まっていた水が流れ出したら勢いがすごそうだ。


さて、そのまま道を北上し、さきたま古墳への道に入る。