真夏の行田駅は日陰が見当たらないほど晴れ渡っていた。
この日は埼玉は35度以上の気温を記録しまさに猛暑というのにふさわしい日だった。
上野から高崎線に揺られること数十分、石田三成が小田原合戦で攻略の命を受けた忍城のある街だ。
それにしても、本当に暑い。そして何もない。
駅を降りてすぐに行田市の観光案内所涼と情報を求め、早速その扉を開いた。
中の人にさきたま古墳への行き方を聞くとちょうどいいバスはないとのこと。
☆もし行くのであれば時間を調べていくことをおススメしたい。
バスの本数が本当に少ないみたいなので。
のぼうの城効果で少しは何か増えるといい。
この観光案内所では無料で自転車を貸してくれているそうなので、待てない私はそれを借りて石田堤経由で丸墓山、忍城へ向かうことにした。
ちなみに自転車は市内になるいくつかの施設で貸出してくれて、返却もどこでも大丈夫らしい。
観光案内所の人に地図をもらって、大体の道を説明してもらう。
手続きをして地図を出しやすいところに置いて出発である。
観光案内所の人が教えてくれた、迷わない行田駅から石田堤までの道のりは
行田駅から駅前の道をまっすぐ行って、上越新幹線の高架下沿いをひたすら走る
といった簡単なルート。大体距離は4Km。
注意していれば通り過ぎることはないとのこと。
埼玉は平地なので自転車も漕ぎやすい。
さて15分ほど漕いでいると田んぼの向こう側に緑の一直線が見えてきた。
ここだ。
自転車をとめて周りを散策させてもらう。
まず目につくのが高架下に作られたスペース。
中心に東屋みたいなのがあって、そこは下に行くと音が鳴るらしい・・・。
書状の写真と現代語訳が書いてあって石田堤の作られた経緯がなんとなくわかる。
あと、丸墓山古墳にはった陣から忍城を見下ろす三成と堤が決壊した時の絵もある。
道路を渡ると堤の断面がみられるようになっており、堤の構造がみえる。
いくつもの層になっているのは、三成が自然堤防や微高地を工夫して作ったからだろうか。
上に登れるようになっていて、高さもあってしっかりしたものだ。
この堤が400年に以上前に28Kmも続いていたのかと思うとちょっとびっくりした。
再び自転車にまたがって石田堤跡沿いを北上する。
松の木が生えていて結構わかりやすいし、ちょっと涼しい。
少し走ると石田堤の看板や碑が建っていた。
自転車を止めて石田堤をのぼると向こう側にはどこまでも田んぼが広がって、夏の日差しで青々しく輝いていた。
ここ一面が水の下だったのはわかるが今いち想像しにくいのが正直なところ、石田堤から忍城を見ることは出来ない。
たぶん向こうに見える街の中だと思うのだがかなりの距離がある。
もう少し狭かったのかと思っていたので、三成の計画には驚くばかりである。
堤は決壊した時に石田方に結構な被害があったたとされているが、実際には若干ではないかという説もある。
ともあれ、ここに溜まっていた水が流れ出したら勢いがすごそうだ。
さて、そのまま道を北上し、さきたま古墳への道に入る。